本を読むたびに作者の旅が浮かび上がってくる、

徳富蘆花、田山花袋、竹久夢二、島崎藤村、若山牧水、

与謝野晶子、林芙美子、萩原朔太郎そして遠く万葉集にまで

その旅の姿が克明に表現されている土地がある、

東京から北へ旅をすると赤城、榛名、妙義の上毛三山が

最初に目に入ってくるでしょう。

信州や飛騨のように高い山ではない、人里に近い山といっても

いいかもしれない、そんな上毛三山の中で、榛名山が数ある

小説の中にまるで星のまたたきのように現れては消えていく、

きっかけは徳富蘆花の「不如帰」でした、やがて小説の内容から

作者の蘆花へと興味が変化していくのにそう時間はかからなかった

ようです。

「なぜ、蘆花は人生の最期の地を榛名山の伊香保に定めたのだろうか」

それは伊香保通いに夢中になる理由としては十分でした。

桜が咲いては訪れ、夏の高原の涼しさを求めては訪ね、

秋のさわやかな青空を求めては訪ね、凍りついた伊香保沼の畔の

厳しい寒さの中まで訪ね歩いても一向に伊香保通いは飽きることが

ないのです。

竹久夢二はどうして伊香保沼の辺に研究所を作ろうとしたのだろうか、

与謝野晶子は籠に揺られながらも伊香保の温泉までやってきたのだろうか、

若山牧水はどんな峠を越えてきたのだろうか

田山花袋は、萩原朔太郎は・・・

こうして次から次と先人の足跡を追い続けることが伊香保の旅の

醍醐味になっていたのです。

ここしばらくは、祭を訪ねる旅を続けておりましたが、

祭と満月の関係に興味を持ち始めてしまいましてね、

満月の下でどこか祭りをやっている町はないだろうか・・・

平成十三年の中秋の名月は九月十九日でした、

その日が祭り日の町を探しておりましたら、なんと伊香保神社の

祭礼がぴったりと当てはまるではないですか。

伊香保神社の祭礼は毎年決まって九月十九日、

曜日で変わることはありません、ですから満月を意識した祭り日では

ありませんが、新暦に移行したために、偶然に十五夜と満月が

一致した九月十九日が祭り日と重なったわけですよ。

まるで伊香保大神様に惹きこまれるように気が付けば伊香保の

あの階段の下に佇んでいたといういうわけです。

そこから伊香保神社まで365段の石段が続いているのです、

「そうか365段だったんだ」

それは一年365日を意識したわけではないかと想像しながら、

さて、たどり着けるだろう、

これは思わぬ自分への挑戦になってしまいました。

「一日一歩、三日で三歩」

なんて口ずさみながらゆっくりと登り始めます。

途中で休憩、祭り支度に若衆達が祭り半纏の凛々しい姿で

動き回っているではないですか。

ここは階段の町、すべて手仕事を足で稼がなくては何も始まらない

のです。

この階段を登ったり下りたり、なんと手間暇のかかる祭り支度でしょうか、

祭りのスケジュールをお尋ねすると、夕暮れが迫った中で、

この石段を舞台に始まるとのこと。

あの烏山の山上げ祭りの若衆達の動きを思い出しておりました。

325、326・・・365歩、

とうとう完歩いたしましたよ、そこが伊香保神社です、

息を整え、汗を拭きながら大休止のあと、恭しく伊香保大神様に

手を合わせます。

境内には、今夜階段を上る樽神輿が出番を待っておりますよ、

やがて若衆の一団が境内に現れるとその樽神輿を手分けして

今夜の出輿の会場へと次々に運んでいく。

「宮神輿は今年は出るのですか」

「はい、明日必ず担ぎます」

と明快な返事が返ってきます。

この急な階段を神輿が神社目指して登る姿を想像しながら

階段を下りる。

最近は祭りに若者が参加するより見物人の側にいる者が

大多数になってしまいました、

祭りは本来青年が中心になって行うことが当たり前なのです、

氏子として祭りに参加することは義務であり権利でもあったのですね。

祭りの支度に始まり、御神幸に供奉し、神輿を担ぎ、お囃子を演ずる

のは青年でなければならなかったのです。

青年は祭りに参加することで、集落の一員になることが認められたのです。

祭りは青年たちにとっては人生の大切な通過儀礼の役目を持っていたのです。

伊香保には、その青年が中心になって祭りを行う若連会が立派に機能して

いることに感動してしまいました。

登りは息が切れましたが、下りはもろに膝にきましたよ、

ガクガクしながら下りてくれど、祭りまではまだ2時間も

余裕がありますよ、

海抜800mの伊香保はさすがに秋の真っ只中、夕方に向かって

気温はぐんぐん下がって18度、

汗をかいた身体は涼しさを通り越して寒さを感じ始めました。

そう、ここは昔からの一大温泉地じゃないですか、

祭りまでの時間を利用して温泉へ、

旅と祭りと満月に温泉が加わったら、これ以上の極楽は

ありませんでしょ、それではちょいと失礼して

ザブン!とひと浴びしてまいります。

(2016年9月記す)