石段が神の道になる日

伊香保の町はとても心温まる祭りを三日間に渡って行ったのです。

その三日間、とうとう東京から通い続けてしまいました、

なぜなら、祭りは人がやるものだということを、それも観光客や

見物人よりも、自分達の町の子供達のために身を粉にして裏方に

徹する若衆達の姿に惹きつけられてしまったからなんです。

此の町には祭りになると集まってくる若者がおりましてね、

20歳から32歳までの青年達が「若連」と呼ばれる祭り組織を

創っているのです。

「若連」は祭りの実行隊の役目を負っているのです。

祭りにはお金がかかります、その奉納金を集めることから、

祭りの支度を行うのも「若連」の仕事です。

神輿は、樽を利用した樽神輿を作成するのも、

石段に並ぶ店の壁に板を張り付け、砂袋を階段に運び込む、

此の作業は祭りが始まって初めて訳がわかりました、

祭りは夕暮れから始まるので提灯の設置は大切な仕事です、

何しろ365段の石段が祭りの舞台になるのですから

支度といえども、この石段を何度も上り下りしたことでしょう。

そして祭りが始まりました。

樽神輿を担ぐのは町の子供達です、

その子供達がいかに厳粛にそして楽しく祭りが出来るように

ガードする役目が「若連」の仕事なんです、

あくまでも黒子に徹して、祭りを盛り上げるのです。

樽神輿は三時間ほど掛けて、坂の上の伊香保神社へ宮入するのですが、

この石段を登ったり下ったりを繰り返し、神輿はあっちの板塀、こっちの

石段にぶつかりながらもみ合うのです。

足元は階段です、もし足を踏み外せば大怪我を負いかねません、

目配せの行き届いた「若連」の動きは、崩れかかった樽神輿を

受け止めて元へ戻すのです。

その時、足元に置かれた砂袋の意味がわかりました。

その砂袋は足を踏み外した時の緩衝体の役目と、そこで足を踏ん張る

きっかけにもなっているのです。

子供達の樽神輿は、

小学生低学年、高学年、女の子だけ、中学生の組

に分かれて運ばれていくのです。

石段の踊り場は上がっていくたびに祭り舞台に

変わっていくのです。

一時間ほどもみ合った後で、休憩が入ります、子供達には

手作りのおにぎりと飲み物が配られます。

疲れが見えていた子供達は、少しの休憩で元気を盛り返す

のです、

まさに子供とは町の未来そのものなんですね、

「若連」の面々は自分達も子供の頃に、先輩の「若連」達に守られ、

祭りを通して何が大切かを学んできていたのです。

「若連」の皆さんの祭りはいつやるんですか とお尋ねすると、

実は子供達は条例で夜の10時以降はやってはいけないことになって

いるので、高校生までは、10時までに帰宅させ、その後で自分達の

祭りをやるのだと、答えが返ってきました。

だから、祭りの最終日、もう見物人も居なくなった夜中に、

神社へ神輿を担ぎいれ、あの重たいお囃子山車までも石段を担ぎあげるのだ

そうで、去年はすべて終了したのは明け方の四時だったそうで、

初日に「若連」の会長が

「祭りの三日間、死ぬ気でやってくれ!」と挨拶した意味が

三日間祭りを見続けて理解できましたよ。

夜中の祭りは、「若連」の本当の祭りです、とても余所者がお邪魔できないと

遠慮いたしました。

此の石段は365段あるのです、樽神輿が階段の最上階へ進んで行った時、

千明旅館(あの徳富蘆花が最期に望んだ)の前では輪踊りが始まりました、

「伊香保温泉音頭」が流れると、浴衣姿の元美女達がゆったりと

踊り始めます、

その踊りは、どうやらお湯につかって、背中を洗う仕草まであって

なかなか色っぽいではないですか、

その踊りを見つめながら夜空を見上げると

十六夜の月が煌々と山の端に上がりました。

何と素敵な祭りの宵でしょうか、

後ろ髪を引かれながらそろそろ帰路に着くことにいたしましょう。

祭りは人がやるためにあることを教えられた祭り旅の途中のことです。

2016年 秋 に記す。